トリハシ ~とりあえず走ってくるわ~

何でもかんでも悩みは走りながら考える子供2人の父親ランナー

腸脛靭帯炎、なのになんで走っているのか

ブログの読者である同級生からの質問があったのでお答えします。

 

質問 「なんで怪我したのに走ってんの?しっかり休んだらいいやん。走りに行くけど、また膝が痛んで泣いてばかりやん」

 

答えは一つじゃないので、書いていきます。

「走る事が日常だから」

走らない日が非日常。走らないと気が済まない。ウズウズする。

 

「そういう神様がいて欲しい」

ずっと「速くなりたい」一心で走ってきたので、その頑張りを評価して「あ!急に完治した!」と神様が治してくれたりしまいか?と期待しつつ走りに出る。走る量も減らしたし、走らない日もあるし。劇的回復してないかの確認。そして回復感じず、折れる。自分を傷つけているのは自分という見かたも出来る。

 

「別大へ向けて取り組んでいる(つもり)」

12月の青島太平洋マラソンには間に合わないので、2月の別大マラソンに向けて頑張っている(つもり)。膝が痛まぬように出来る事をして積んでる(つもり)。自分を痛めているだけ、という事にならないといいなぁ。

 

ゆーてもジョグやし」

ポイント練習じゃないし、速くも長くもないしキロ6分とか7分やし。だいじょぶっしょ。という慢心。で、治った人のブログを読んでも「ジョグしてたら、いつの間にか治ってた」って人が多い。なのでジョグはいいじゃん、と思ってる。

 

心肺機能とか筋肉とか夏に積んできたものが無くなるのが怖い」

 

暇を持て余す」

土日もランニングを軸とした時間割だったので「走らない」とすると「何をすればいいの?」と定年後の無趣味の人のようになる。本を読んだり映画を観たり、酒を飲んだりするが、満たされない心の余白。持て余す体力。やっぱり君じゃなきゃダメなんだ。  

 

「野球で例える」

質問者の同級生が野球部出身なので、僕自身は詳しくはない野球で例えてみる。 投手で肩を痛める。去年はストレートで120㌔出す事に成功。去年の練習の強度をあげて取り組めば、今年は135㌔出す事が出来そうだ。めっちゃ頑張ったら手に届きそうな感じ。 で、冬に投げ込んでいたら調子が上がってきたので、強度の高い練習を継続。が、大会直前、春の練習試合で肩の異変に気付きつつ投げ続けたら、本当の故障。目標の夏の大会で投げれず。でも2年生なので、何とか秋の大会に間に合いたいと、リハビリしながら少しずつキャッチボールを開始(今ここ)。で痛みを感じない時に「お、治ったんやねぇか?」と速めの球(110㌔くらい)を投げてみたら肩が「あうちっ!」となる日々(最近、特にここ)。    

 

 

 

今回の怪我で「走れない事の恐怖」を嫌と言うほど知った。「走る」と同じくらい大切な「リカバリー」「メンテナンス」。結局おろそかにしてた分が遠回りとなった。きちんと体の基礎を築かないと、安定して速い球は投げれない。きちんと土台のあるランナーになりたい。なる為に頑張りたい。