トリハシ ~とりあえず走ってくるわ~

何でもかんでも悩みは走りながら考える子供2人の父親ランナー

23年ぶり 24年ぶり

おとといの火曜日、色んな腸脛靭帯炎経験のブログ等で仕入れた情報を基にジョグに出る。気を付ける事、

◇痛みが出たらすぐにやめる

◇歩幅ではなく、着地の横幅を広げる

◇踵からの着地ではなく、なるべくつま先の方で着地する

◇ペースは遅すぎないように

恐る恐る走り出すと痛みなく順調。ペースも4:30くらいで。休んだ分、身体もリフレッシュされ軽い。そこで調子に乗って6Kからちょっとペースを上げようとキロ4分に上げた所で、直ぐに膝に痛みが出る。とても耐えれる痛みじゃない。自分で自分を追い込んでしまった。ジョグで満足しとけば良いものを・・・、欲張ってしまった。すげー後悔しながら家まで2Kとぼとぼ歩く。あー、おれは怪我をしたんだな・・。もう走れないのかな。闇。

 

闇に包まれ落ち込んでいた水曜。もう11月末から始まる大会に間に合わないんじゃないか。というかもう走る事すら出来ないんじゃないか。あの夏のきつかった練習は何のためだったんだ・・。

 

が、今日(木曜)起きたら何故か不安が消えていて「なるようになるし、きっと大丈夫」という根拠なき自信が生まれてた。身体が非常に調子が良い。きっとそのおかげで前向きになれたんだと思う。ちょっとずつ様子を見ながら一歩を踏み出そう。

 

まず23年ぶりの事

23年ぶりに髪を伸ばすことに。19歳からずっと坊主頭。小野伸二とか、ドリカムの脱退した人、松本人志も坊主になり攻めの坊主が流行った時代に坊主になり早23年。今では薄毛を気にして坊主なのにAGA治療で髪が抜けにくくなる飲み薬も飲んでいる。すっかり守りの坊主。元々、天然パーマが凄くて高校時代はスポーツ刈りにしても、良くて宮城リョータ、悪くてブロッコリー。髪を伸ばしても管理出来ないので、楽な坊主がずっと好きだった。2週間に一度、自分でバリカンで6ミリに刈り上げていた。

年老いて退職したら、髪を伸ばしてマンバンヘアーにしようと思っていた。でもこのままじゃ、マンバンにする髪がなくなっちゃうよ。職場はマンバンヘアーが認められるような環境じゃないので、普段はオールバック、休日マンバンヘアーを目指して髪を伸ばす決意。1年半くらいはかかるみたい。飽きたら?諦めたら?また坊主にすればいいのでいけるとこまで伸ばしてみよう。今日、久しぶりに髪を切りに行った。

 

24年ぶりの事

中学校の時、部活に入っていなかったので何故か母親と姉と水泳に通い出した。社会人のコースで中学生の持て余す体力をプールで発散していた。選手コースの同級生に比べると数段遅かったが、それでも体育の水泳の時間はみんなの前で見本として泳ぐように指示されるくらいまで上達した。

親は何を期待したのか、自分が出来なかったことを子供に託したのか、貧乏なのに習い事は異常に多かった。英会話、ピアノ、そろばん、習字、塾、そして水泳。今でも身についているのは好きだった毛筆と水泳くらい。嫌いなものは全く何も覚えていない。ピアノは7年も通ったのに、譜面すら読めない。

脚を故障して、自転車に乗ったりしているがランナーでリハビリといえば泳ぐ人も多いので久しぶりにプールへ。娘が3歳から6歳になるまでは、けっこう通っていた。いつも2人で水の中で前転したりビート板でキックの練習をしたりと楽しかった記憶。今日は一人でプールへ。そして18歳以来、24年ぶりにしっかり泳いだ。

行く前は1000Mを2本くらい泳ごうと計画。ランナーとして鍛えた心肺機能があれば、楽々泳げるだろう。きっと20分もあれば1000Ⅿは泳げるだろう、と。

 

が、

 

もう、全然過去の自分じゃないっす。

 

隣のコースで160cm、90㎏くらいあるおじちゃんのビート版キックと並泳する。わずか300Mで息が苦しくて止まる。息が苦しくてクロール続けられない。25Mをクロール、平泳ぎ、背泳ぎの3種目でまわす。なんとか1500M泳いだころには45分くらい経っていて今日の終了を悟る。首とか肩が非常に疲れる。疲れたが非常にいい時間だった。

 

手に残るカルキの匂いを肴に赤ワインをガブリと飲んで刺激の多い楽しかった1日を終了。